Works in Progress: アントロポゾフィー解剖学(26) ― 2006年02月27日 05:56
3.5.4. 章 律動的原動力と律動的形態
人間の胸郭全体が律動的形態を示しており、これはとりわけ脊柱と肋骨の構造に
明らかである。
胸郭の形態は、ある範囲内において、固定的であると同時に可変的である。不動
あるいは固定というのはどちらかといえば脊椎の特徴であって、力動的には頭蓋
に比すことができ、一方可変性はどちらかといえば肋骨の特徴であり、こちらは
四肢との関連を示している。律動的中心は求心的なるものと遠心的なるものを平
衡状態のうちに有している。
遠心的および求心的動力が融合したものとしての律動は両者がさらに強められて
結びついたものと見ることもできる。しかし別の面から考察するならば、律動的
中心はそれ自身のうちにすでに求心的および遠心的なるものを持っていた何物か
が分離したものと見なすこともできる(4.3.2. 章を参照せよ)。もしそうであ
るならば、発達の途上において対立する両極が中心から生じたということにな
る。第9章では分極化とそこにおける中心の役割を扱うが、ここに述べたことが
らを比較解剖学から見た発達的現象を用いてさらに説明する。
人間の胸郭全体が律動的形態を示しており、これはとりわけ脊柱と肋骨の構造に
明らかである。
胸郭の形態は、ある範囲内において、固定的であると同時に可変的である。不動
あるいは固定というのはどちらかといえば脊椎の特徴であって、力動的には頭蓋
に比すことができ、一方可変性はどちらかといえば肋骨の特徴であり、こちらは
四肢との関連を示している。律動的中心は求心的なるものと遠心的なるものを平
衡状態のうちに有している。
遠心的および求心的動力が融合したものとしての律動は両者がさらに強められて
結びついたものと見ることもできる。しかし別の面から考察するならば、律動的
中心はそれ自身のうちにすでに求心的および遠心的なるものを持っていた何物か
が分離したものと見なすこともできる(4.3.2. 章を参照せよ)。もしそうであ
るならば、発達の途上において対立する両極が中心から生じたということにな
る。第9章では分極化とそこにおける中心の役割を扱うが、ここに述べたことが
らを比較解剖学から見た発達的現象を用いてさらに説明する。
Works in Progress: 星間戦争(17) ― 2006年02月27日 05:59
第3章 囚われの日々
2台目の戦闘機械が現れたために、われわれはのぞき穴から食器洗い室へと戻らざるを得なくなった。火星人が戦闘機械の高みから、障壁のうしろにいるわれわれを見下ろしはしないかと恐れたのである。後になるとそれほど連中の目を恐れなくなったが、それは戸外のまぶしい陽光に慣らされた目にはわれわれの隠れ家などぽっかりと空いた暗闇にしか見えないはずだとわかってきたからだった。だが最初のうちは少しでも連中の近づいてくる気配がしたら心臓をどきどきさせながら食器洗い室へ逃げ戻ったものである。だが危険を招き寄せるおそれがあっても、のぞき見の魅力にはふたりとも逆らえなかった。今にして思えば不思議なのだが、われわれは餓えと、さらにはより恐ろしい死という計り知れない危険にさらされていたにもかかわらず、一目外をみようとして激しく争った。こっけいなありさまで音を立てぬよう先を争って調理室を横切り、わずか数インチしか外から隔たっていないところで殴り合い、互いに押しのけたり蹴飛ばしたりしていたのである。
実のところわれわれは気質にしても思考や行動の習慣にしてもまったく性が合わず、危険と孤独のせいでますますそれが強まっていたのだ。すでにハリフォードで私は副牧師の絶望的な嘆きやら愚かしく硬直した精神を憎むようになっていた。
2台目の戦闘機械が現れたために、われわれはのぞき穴から食器洗い室へと戻らざるを得なくなった。火星人が戦闘機械の高みから、障壁のうしろにいるわれわれを見下ろしはしないかと恐れたのである。後になるとそれほど連中の目を恐れなくなったが、それは戸外のまぶしい陽光に慣らされた目にはわれわれの隠れ家などぽっかりと空いた暗闇にしか見えないはずだとわかってきたからだった。だが最初のうちは少しでも連中の近づいてくる気配がしたら心臓をどきどきさせながら食器洗い室へ逃げ戻ったものである。だが危険を招き寄せるおそれがあっても、のぞき見の魅力にはふたりとも逆らえなかった。今にして思えば不思議なのだが、われわれは餓えと、さらにはより恐ろしい死という計り知れない危険にさらされていたにもかかわらず、一目外をみようとして激しく争った。こっけいなありさまで音を立てぬよう先を争って調理室を横切り、わずか数インチしか外から隔たっていないところで殴り合い、互いに押しのけたり蹴飛ばしたりしていたのである。
実のところわれわれは気質にしても思考や行動の習慣にしてもまったく性が合わず、危険と孤独のせいでますますそれが強まっていたのだ。すでにハリフォードで私は副牧師の絶望的な嘆きやら愚かしく硬直した精神を憎むようになっていた。
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