かくも長き不在2010年11月19日 13:39

…ってなんだろうと思ったらフランス映画だった
3年以上もほったらかしにしておいて今更という感じではあるが
アントロ解剖学の翻訳を再開したのでブログも再開してみるとしよう

33年間の夏休み(28)2007年08月13日 05:23

ひと月ちかく間があいてしまった。

この間例によって仕事に追いまくられていたが、病院もさすがに受診者が少ないようで、今朝はぽっかりと仕事がない。

今年もまた妹の命日が近づいてくる。
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とうさんはいつものように朝5時にひとりで起きて仕事に出かけてしまった。痛みのため眠れぬ夜を過ごした妹と、そのかたわらで一晩中看病していたかあさんは明け方の涼しさでようやく眠りに落ち、そのまま起きてこない。きみはパンと牛乳だけの朝食を済ませると、駅前のダイクマで先日買ってもらった軟式テニスのラケットを持って外に出る。細い消しゴムみたいな突起がびっしりと並んだ厚いゴム底のテニスシューズはコンクリートの階段でもまったく音を立てない。団地の3階から1階まで狭い階段を降りて、まだ誰も歩いていない舗装道路に立ち、きみは素振りを始める。ラケットはいちおうカワサキ製だが、 CourtPet という頼りないネーミングにふさわしい安物で、きみはそのラケットを使い続けた中学の3年間ずっと、口さがない仲間たちにばかにされて悔しい思いをすることになる。きみのフォームが極端な「手打ち」になって手首ばかりを酷使することになり、おかげで腕相撲は強くなったけど球に伸びがなく、冴えない後衛で終わったのはそもそもこの軽すぎてバランスの悪いラケットのせいではなかったかと今にしてみれば合点がいくのだけれど、手に入れたばかりの当時はお気に入りだった。何しろ夏休み前までの練習といえば新入部員は基礎トレーニングと球拾いばかりで、コートに入ることさえなかったのだ。ラケットはガットの切れた先輩のお古だったし、履いているのは学校指定のランニングシューズだった(だからこそコートに入るわけにはいかなかったのだが)。だからこうして同じく安物とはいえれっきとしたテニスシューズを履き、自分のラケットを振っているだけで気分が高揚してくるのだ。フォアハンド100回、バックハンド100回、気温はすでに上がり始めていて、きみは額にびっしりと汗をかく。ツクツクボウシが鳴き始める。きみは背後から迫ってくるものに気づかず、うしろめたいとも思わない。

33年間の夏休み(27)2007年07月16日 07:12

きみの家は決して裕福ではなく、おそらくは中の下といったクラスだったから、妹が大学病院で治療を受けるとなったとき、きみは少なからず家計を案じたものだったが、自分が私立の中学に進むことについては何の疑問も不安も抱かなかったのだから、今にして思えば勝手なものだ。きみがその中学ー高校一貫校に進むことは家族全員の願いであったにしても。妹の治療が「治験扱い」(こんな難しい専門用語ではなかったろうが、今となっては正確な言葉を思い出せない)になったから医療費はあまりかからないの、母親はこう説明してくれた。「治験」の概要を知るてだてはなく、これは推測でしかないのだが、放射線治療単独で、手術は行わないというのがその内容だったのではないかとぼくは思っている。